①±胃ろう、②±中心静脈、 ③±気管切開±人工呼吸±酸素投与
①から③は前述、また在宅での療養の大変さも述べました。今回は施設療養について。
施設で①から③なしで、枯れるように亡くなりたい。が一番現実的な、選択で、自分もこれを選択したいです。 療養型施設や病院に入ったとします。食事は重湯一口ずつ誰かが介助、点滴はせず、職員が水差しで水を与え、おむつを替えたり、ポータブルトイレに誘導したり、大変な労力を一人にかけることになります。誤嚥や転倒骨折などの事故は、施設の信用問題になりますので、ルール遵守が原則です。治療を全くしないことは倫理的な問題ですので、発熱や乏尿に対して、放置することは施設でも病院でも許されないことが多いです。点滴や尿カテーテル挿入や酸素投与を完全に拒絶すると、施設の方針と対立することもあります。
空きベッドの多い他県に求めれば別ですが、特別養護老人ホームは入居待ち数年というような状態が都心では当たり前です。それで、有料老人ホームとなります。安くなってきたとはいえ、数千万円の頭金なしだと月に40万円はかかります。介護保険併用の施設もあるでしょうか、それにしても持ち出しは月に10万円~20万円はかかるでしょう。有料ホームで枯れるような尊厳死を演出してくれるかどうか、施設の方針によります。枯れる状態を急変と勘違いして、夜勤アルバイトの職員やナースがあわてて救急車を呼んで、高度治療に突入しても、文句は言えません。何もしないでくださいが施設に受け入れられて、本当に何もせずに職員や家族によって死亡確認したとしましょう。その後嘱託医が診察間隔が24時間以上空いている状態でも継続疾病による内因性死亡という診断書を円滑に書いてくれるかどうかも、気がかりです。通常であれば、嘱託医は、内因性疾病の継続として死亡診断書を発行するでしょう。しかし、“何もせず”の度合いが、度を越した場合は後に第三者や司法関係から、診断した医師に疑義が生じることもあります。これを避けるためには、死体検案の形に変更して、警察が主導で警察医や監察医による検死と最終診断書の発行が必要になります。施設の方針と本人家族の希望とがかみあうか、嘱託医と話しがあうか、高額な値段に見合うかなど、大変です。
在宅の尊厳死を、国は勧めていますが、以上のことを踏まえて構築された政策であると信じています。余命がどのくらい、歩行やトイレ移動といった機能の残存の具合、経口摂取力の衰退する度合い、家族の死生観、家族の貢献度とマンパワー、主治医の協力と理解、訪問スタッフの確保と料金設定、自宅の導線確保と改修、先立つ経済力などいくつもの障壁を乗り越えていく必要あります。手間をかけずに枯れる最後も、手間をかけた高価な盆栽のような最後も、本人の元気な時の認識、家族の認識、医療者介護者の認識がうまくかみ合わないと“演出”できません。周到な準備を元気なうちから心がけておく必要があります。準備に余念のない方は、かえって自身の健康維持につながり、経済的蓄えも確保できて、家族関係も改善し、周辺の医療介護関係者との関係も大変円満になるでしょう。
私は臨床医で、28年間修練してきました。かなりハードな心臓血管外科とその集中治療が前半ありまして、後半は地域医療、医療教育、在宅医療、①から③設置の外科的手術を担当しています。自分にもリビングウイルがあって、それを、家人や職場に各所に明記しています。詳細な内容にしてあります。もし参考意見としたい人がいたら、ご紹介しますので連絡ください。