コロナに感染して最も恐ろしいのが、世間の目という報道が朝日新聞にありました。自分の命や人の命より他人の目という、純日本的な発想です。また感染して療養終了後の、社会の寛容が得られていません。だらだら書きます。
結論は鼻だしマスクはやめよう。 と
感染終了後の働きはじめの基準を作るのは大変。社会復帰後、彼我ともに一層のマスク徹底手指消毒徹底。
母から聞いたのですが、太平洋戦争後半では東京市では庭のある家に防空壕を掘ることが、国から推奨されたようです。女手や年寄りが掘ったのでしょう、あまり深いものはできなかった由。一応掘っておけば、世間の目には、ポリティカルコレクトだったのです。紙と木でできている日本家屋ということで、ガソリンかけて燃やして蒸し焼きにしようということで、焼夷弾を米軍は発明しました。都市空爆、戦略爆撃の神様ルメイ将軍は、のちにナパーム弾をベトナムで使うとか、燃やすのが大好きでした。戦後20年たって、新制日本から勲一等が与えられていることに、ルサンチマンを感じます。友軍高射砲のとどかない雲の上から、何万発も雨のように降ってきたと、女学生だった母は覚えています。防空壕に入らずに慌てて、祖母と叔母と着の身着のまま青山墓地に逃げたと言います。焼け野が原になって、あとで防空壕を掘り返すと、防空壕は天然オーブンのようで、思い出の写真や本や楽器などが炭になっていたのでした。国の推奨をまもって、自家製防空壕に逃げた方がどうなったかは自明です。
世間の目を気にする国民ですので、マスクはみんな装着しています。テレワークできるようになりました。電車では寒いけど窓開いています。時差出勤もします。昼食は寒いけど公園で食べます。飲食で感染することは知っているので、場末の居酒屋でもちゃんとしています。みんな自分なりに防空壕を掘っています。コロナウイルスは、10分間ほどかかるようですが、コロナ表面スパイクと粘膜ACE2受容体が結合すると細胞内に取り込まれます。それからのろのろ10日間前後かけて増殖して発病します。その後、すぐに熱でもでればいいのですが、自己防衛のインターフェロンをなかなか作らせないので初発症状が風邪未満になります。そして発症7日が突然運命の分かれ目の、重症軽症の桶狭間になるわけです。入院病床はおいそれとないのが、現時点です。保健所は矢尽き刀折れで、厭戦モードです。当院からも数名要請しましたが、救急隊は決死的に臨場して肺炎患者を東奔西走して拠点病院に搬送しています。
ゴート―かゴーツーかゴートゥという飲食旅行のキャンペインしたのは、浅い防空壕ほらしておいて、友軍からの誤爆のように思えてなりませんでした。防空壕のマスクをはずしての飲食は大変な感染機会になります。交通機関、病医院、映画館、劇場、行楽地で知らずに、鼻が露出するようなマスクであれば、感染するでしょう。我々一人一人ができることは、マスクをしっかりつけるという、浅い防空壕しかないのです。浅いですが、コロナ本人は焼夷弾ほど残酷ではありません。防衛可能です。しかし、今のままで人が動いて、通勤通学して、ちょっぴり飲食や観劇や買い物をしてゆくと、全く感染者は減りません。マスク完璧同志が、日体大の集団行動のように無言で整然とした人の流れを作っているわけではないからです。鼻だしマスク禁止。
療養入院終了後の社会復帰の道筋も不明瞭です。感染者が職場に戻る基準は、今のところ全く一定の見解がないです。発症しておそらく4週間ぐらいは、ウイルスが粘膜に共存しています。早く復帰すると、二次感染はあり得ます。鼻咽頭のPCR,が何回陰性でも、糞便には1か月ウイルスがいるとのことで、トイレなどでの接触感染はありえます。きりがないので、感染後の人も気を抜かず、マスクと手指消毒をするとともに、受け入れる社会も覚悟して一層頑張るしかないのです。家庭内は仕方ないかもしれません。息子さんが退院して、7日間たってお母さんが感染したケースを数例みています。家庭内感染に、実はこれが多くあるのではないでしょうか。家庭内でも、各人が防空壕をほって、自分だけは感染しないようにするしかありません。マスクを取ることがあれば、必ず人にうつしてしまう。災害というか、目に見えない空襲を受けているのが今の惨状です。