post-coronaーココロのワクチン

新型コロナウイルスに罹患する頻度は、最新統計によれば全世界で850人に一人である(77億人を900万で割りました)。人口比で言うと、アメリカは140人に一人、日本は6800人に一人と、欧州株コロナがこれほどの明暗を分けているのか、日本人のファクターXなるものが功を奏しているのか。武漢株と欧州株の違いについて勉強しなくては。

元に戻って、850人に一人と仮定してみる。罹っていない849人は、命運をかけたワクチン開発レースを傍観し、特効薬の出現のニュースを日々求め、一方的に突然ハッシュツ(発出とか耳障りな用語)のロックダウンに甘んじたり、恐る恐る働き始めを勝手に許可推奨されたりして、翻弄されている。職を失う、収入が減る、孤独になる、という屈辱的な苦しみは公務員以外の民間人は抱いている。見えない敵に849人が精神的な苦痛をこれから何年間も味わうことになる。欧州コロナ株の猛威で米英では10%に抗体保有があるとのことであるが、それでも850人集めて抗体のない765人はウイルスの威圧に仕事も日常生活も抑圧されていることになる。抗体なら日本人はわずか0.1%しかないということは、国民がほぼ丸丸全員、コロナの恐怖で精神的に重圧を感じながら漫然と数年間生活するという見方もできる。身体の感染に免疫という防御反応があるように、心にも防衛機制(ディフェンスメカニズム)という”免疫反応“がある。免疫反応も感染時に有利に働くこともあれば、逆にサイトカインストームなどという、病原体攻撃のつもりが自爆攻撃を与えることがある。心の防衛もしかりで、過剰に間違った防衛をすると、社会的にもっとつらくなったり、精神を痛めることもあるという。心にワクチンは打てないが、防衛することができるようなので、専門外ながら勉強してみた。

 防衛機制は精神科、心理学などで流派体系が色々あり、わからないので、初学者としては、まず米国医師国家試験の要綱の順に、たとえ話で記す。難しい話ではないし、“未熟 成熟”をもって善悪を問う用語ではない。

未熟な防衛方法(immature ego defenses)

  • 行動化(acting out);コロナでつまらないので酒におぼれる。
  • 否認(denial);コロナだからこそどんどん外出して生活してコロナを忘れる。
  • 置き換え(displacement);コロナの心配を忘れるために、代わりに癌を気にして病院を渡り歩く。
  • 解離(dissoiation);本来は潔癖であるが、恐怖を隠すように手洗いやマスクをやめる。
  • 知性化(intellectualization);コロナについて情報を収集するあまり変なことになる。勉強は強迫観念の裏返し。
  • 投影(projection);コロナに感染しそうなことをしている自分をおいといて、家族のコロナを疑う。
  • 合理化(rationalization);マスクを二重してもうつりそうであるので、三重して感染防御しよう。しかし4枚は無意味だ(もったいないからを置いといて)。イソップ寓話ののキツネのブドウ 参照。
  • 反動形成(reaction formation);えーいめんどくさい、マスクもしないで歌舞伎町出撃だ。
  • 退行(regression);僕はかかってもいいや、お母さんのように誰かが看病してくれる。
  • 抑圧(repression);コロナは架空の産物と思って、コロナの注意事項を真面目に忠実に無視して生活を送る。
  • 分裂(splitting);A路線のつり革ではコロナがうつるが、B路線のつり革は消毒が行き届いているからコロナはうつらない。さすがB路線だ。

成熟した防衛方法(mature ego defenses)

  • 昇華(sublimation);コロナで自粛の最中に、語学に打ち込もう。コロナでテレワークをしているうちに、自分は今の仕事が天職だと気が付いた。
  • 愛他(altruism);買占めしすぎたマスクを病院に寄付しよう。マフィアのボスが教会に寄付。鼠小僧にたとえられる。
  • 抑制(Suppression);飲みに行きたいが、ここは我慢。
  • ユーモア;笑いに変えて、コロナを忘れる。
  • マインドフルネス、瞑想、座禅→1分間12回の呼吸を深く5回にするのが基本。迷走神経賦活。
  • ヘルパー’s ハイ エッセンシャルワーカーの心の糧、ヒトの困っているときに、手助けをして、うまくいって ありがとう、どういたしましての瞬間に、愛のホルモンのオキシトシンなどがでてきて、お互い気持ちよい状況になる。

 

自分の印象である。“未熟”な精神反応は無意識の個性が出てくるようだ。本来自分だけが楽になるように行動するのが、人間の性であろう。自分はコロナで迷惑をこうむっているので、これぐらいの自分の個性は許してくれという、致し方ない反応だ。悪いことではないし、無理もない。自分の個性でコロナと付き合うので、これでうまくいく人は多くいるであろうし、講釈をするつもりもない。しかし多勢に無勢で、民主主義国家では注意を受けることもあろうし、独裁的な体制では処罰を食らう場合もあるので、“未熟”は人目のつかぬところだけや、心の中だけで行えば、問題は解決。それができれば、押しも押されぬ成熟防衛になる。感染防御においてはモラル違反になるが、心の防衛は善悪をとうものではないので成功となる。オンライン宴会などは、酒に紛らわす未熟さを、公が称賛するテレワークの手法をもって行うことで、未熟→成熟防衛になるが、酒量に注意されたい。

“成熟”防衛機制はその場その時で考えて、自分にも他人にも悪い印象を与えないように無理した行動を求める傾向がある。飲みたい酒を我慢、どこかに行きたくても我慢、他人を助ける、弱きを助ける、坊主のように座禅する。24時間これができる人は、名刹の高僧にもいないであろう。我々のようなエッセンシャルワーカーはコロナの最中でも、ヒトとの繋がりがないと生きていけないが、痛み、かゆみ、不潔、不快、空腹、不安、焦燥、枯渇を、各職種の手法で解決すると、必ず  (ありがとう、どういたしまして)関係がでるので、感染の危険は別として、心の負荷は他職種より軽減する場合もある。エッセンシャルワーカーは毎日心にワクチンを打ってもらっているのかもしれない。

 答えのない話で、コロナによる精神的苦痛を、自分の力だけで防衛することはできそうにない。いちいち、善悪、特損、賞罰を考えつつ、未熟と成熟を行き来して、コロナの収束を待つことになりそうだ。自分は少なくとも、イライラしたり、悲しくなったり、ヤケになったら、ゆっくり息をして、目を閉じて、数十秒は何も考えないようにしようと思う。